流行を追うだけが女性ではないし、定められたかたちに従うのも女性でないと考える彼女のようなおおらかさと、ハンカチでウエストをぎゅッと締めつけるような工夫こそが、女性のきわやかさに通じるものだと思ったんだよ。その次にね、お嬢さん、おれが感心したのは、シャネルが、愛についても、きわやかな主義に徹しているのを発見した時だったよ。被女は、初恋の男性の彼女と同居して、愛の価値を見出そうとするんだなあ。つまり、世間でいう三角関係ってことになるんだけれど、それを彼女は、きわやかにやってのけるんだよ。「人聞には、誰でも、愛をもっ権利があるものよ。あたしが彼を好きになり、あなたも彼が好きであり、彼もまたあたしたちに愛を覚えているならば、こういう状態がつづいているのもいいじゃないの」というわけなんだよ。もう一人の、いわば恋のライバルにあたる女性も、これをさわやかに受けとってしまうわけなんだよ。愛は独占ではないと彼女は主張するわけなんだなあ。愛は根本的に美しいものだから、共有すべきだというわけなんだよ。愛は、お互いに精神を高めなくてはいけないという点に彼女は立つわけなんだ。独占しようと思えば、憎悪とか嫉妬という醜さに、人聞は陥ち込んでしまうというのが、シャネルの主張なんだよ。お嬢さん、おれはね、このシャネルの生き方に、全面的には賛成しないんだが、サガンの作品が生まれる三十数年前に、すでに愛の共有の論理をもった女性が、堂々と発言するのを読んでおどろいたものさ。愛は美しいから共有する、そしてお互いの精神を高め合うと認め合った場合は、これを進めていくという新しい愛のパタ γを自分の中につくったのは、コルセットを外したと同様に、精神もまた解放したんだと思うんだなあ。そして、相手(彼と彼女)を傷つける状態に自分を置いた場合は、自らが立去って行くのだなあ。誰もが傷つかないきわやかさが、彼女の身上だったわけだよ。たしかに、男も女も、愛を独占したいがために、醜い自分をさらけ出そうとするんじゃないかなあ。嫉妬したり、嘆いたり、そういうことを繰り返してせいいくんじゃないかと思うんだよ。それが、平凡な、市井の愛のかたちと自分で定めているようなことがあるもんなあ。その点、シャネルは、偉大であったと思うんだよ。こういうかたちで、彼女は、ジャ γ・コクト!ともピカソとも親しい間柄になり、彼女は、実に色々なもの(自分にない才能、感覚)を身につけていくんだなあ。

大体、二十代、三十代の男で、人間関係の悩みとか、金銭問題の悩みをいったりするのがいたなら、この男は、生来、怠け者であって、他力依存の生活を自分にいいくるめている人間と思っていいだろうと思うんだよ。結論としていえることは、お嬢さん、同情は一切不要なんだからねえ。同情で、ほろりとして、男を愛してしまうほど、馬鹿らしいことはないし、男もまた甘えてしまって、自分のものを見失ってしまうものだと思うんだよ。女の涙は二十パーセントぐらいの悲しみとか淋しさとかをもっているけれども、男の涙は、そうじゃないんだから、その点は、よく研究してほしい。男の涙は、ワニの涙なんだよ。ワユは、旨い餌・かいる時に、赤い涙を流して、餌に近付いていくというのだけれど、男の涙には、これとよく似たズルサがあるような気がしてならないのだなあ。お嬢さん、今日、おれがいいたかったことは、同情は決して倖せへの進み具合を示しているものではないということなんだ。男の涙に、うっかり同情して乗ったなら、女の不幸が約束されたのと同じなんだよ。愛の積極さと謙虚さ誰もが傷つかないきわやかさお嬢さん、今、おれは、ギリシャからスペインに向かっているんだが、その途中で、小冊子を手にしたんだ。ザ・シークレット・オプ・シャネル。というものだ。マドモアゼル・シャネルの秘密、かいつまんだ彼女の生涯というわけだ。これを拾い読みしながら、シャネルさんという女性は、なかなか面白い人生を送った人だと思う。すでに五十年前になった場面から、この物語ははじまっているけれど、おれは、こういう女性こそ現代の代表みたいに思うんだよ。たとえば、彼女は、冬の日に、索、さをカバーするために、男もののセーターを着るわけだ。それが手許にあったから着たというだけのことだが、ウエストがだぶついているのをなくそうと思って、彼女は、ウエストをハンカチで縛りつける。そして、縛った時に、ある発見をするわけだ。「こうすれば、コルセ トが不要なんじゃないかしら:::」と。彼女は、そのままの姿で、パーティーに出席する。パーティーの客は、誰もが、彼女の着ているセーターが男ものとは思わないのである。そこで、被女は、コルセットというものを、すでに時代おくれの拘禁性下着なりと断定してしまうのだ。との彼女の発見が、女性全般の、おしゃれの大改革につな・かっていくのだ。お嬢さん、おれは、この部分を読んだ時にね、きわやかな感じがしたよ。

現在でも、とてもいやなことがあるんだなあ。「深夜のテレビショ の司会をやっていらっしゃるけれども、良心は痛みませんか。早く、くだらないテレピをやめて、文学一本に励んで下さい。私は、それを心から望んでいますから:::」という人は、世の中に、沢山いるもんだよ。おれは活字を愛しているから、また、テレビも愛しているわけであり、現代に生きている限りは、これを踏んまえていきたいと思っているわけである。こういう気持ちでいるのに、突然に新大阪駅なんかで、見知らぬ人にいわれると、怒りが渦を巻き、狂うように追ってくるのである。人間、なにをどう解釈したっていいと思うんだよ。ただ、涙で甘えて、解釈してはいけないと思うんだよ。男は、男らしく、生きていき、女性には一粒の涙も見せたくないんだなあ。おれの親父が死んだ時、おれは死の床に付合い、そして、その後まで親父に付合ったけれど、母親とか女房に対しては、涙は一時摘も見せまいとしたんだ。「死なれたよ。一生懸命に生きようとして死んでしまったよ」といい、「おれたちの心の中に生きている親父を大切にしようや」といっただけだ。外部から見るおれの態度は、大変に冷たいようだつたけれども、おれにいえる言葉というのは、それしかないと思うんだよ。本当は、大声をあげて、泣きたかったんだけど、そんな涙を他の人に(母でも女房でも)見せたくなかったんだよ。男の涙というのは、他人に(家人といえども)見せてはいけないと思っているんだ。そこに、男の男たる気持ちが横たわっているような気がしてならないんだ。お嬢さん、男の心理が、少しはわかってくれたような気がする。男が涙する時は、誰も見ていない男一人の環境でなんだと思うなあ。自の前に女性がいて、涙を流すことは、男の甘えであると思う。本当の男なら、絶対にそんなことをしないと思うんだなあ。もしも、お嬢さんの目の前に、涙を見せる男が近付いたなら、相手にならない方がいいと思うんだよ。そんな男に、お嬢さんの運命を渡したくないなあ。同情は女の不幸の約束なんだよお嬢さん、君はね、その他にも解釈を間違っていると思うんだなあ。たとえば、男が、経済的な援助をお嬢さんの実家に求めようとして泣きついたりすることがあったり、君を博かすような借金の額をいったりする男が世の中に二パーセントぐらいいるかもしれないけれども、そういうのに、うっかり乗ったりしては駄目だよ。

男は見せない動物だと信じ切っているからなんだろうなあ。男性でも、すぐに涙を獄えて、涙を流す奴がいるんだなあ。実に都合よく、女の心理を揺らすために、涙を自にする男がいるものなんだよ。そういう男に、女性は騎されてしまうわけなんだ。「男の涙は、余程のことがないかぎり流さないものだ」&--と、思い込んでいる節があるんじゃないかなあ。父親の涙を見たこともないから、こういう考えが浮かんでくるのだと思う。だから、男の涙を見ると、「この人は、あたしだけに、涙を見せたんだわ」と思い、「だから、あたしがいなくては、この人の未来はどうしょうもないわ」と、母性愛が働くものらしい。涙が信頼の度合だと、お嬢さんたちは、単純に解釈しているような気がするんだけど、本当はそうではないんだよ。男の涙を、女の涙と同質に考えてはいけないんだからね。今までに結婚詐欺師とか、金銭を踊しとる詐欺師とかを眺めていると、この涙の演技が実にうまいのだなあ。男の涙にほろりとした女性は、大半だまされているような気がするんだよ。お嬢さん、男の涙に、ほろりとしてはいけないよ。女の前で、ほろほろと泣く男は、男じゃないんだからな。むしろ、女性に近い男だと思うよ。あるいは、大変に計算高い男だと思うよ。男というのは、もともと女性の前では、涙を湛えたり、浮かべたり、流したりするものじゃないんだからね。そんなことをするのは、男の恥なんだよ。女の前で涙を流すほど男にとって恥はないんだからね。「上役がおれにこんなことをいったんだよ:::」といって、涙ぐむ男は、おそらく被害妄想の、実力のない男なんだろうなあ。お嬢さんは、これを男の苦悩の涙と解釈してしまって、結果としては輔されてしまうケ 1スがあるものだよ。この点、男の涙に踊されてはいけないよ。同情とか憐れみが、かえっていのも取りになってしまう気がするんだよ。た。男は男らしく生きるべき:::男性の本質は、どんなに辛いことがあっても、女性には涙を見せないでおこうと思うものなんだよ。そりゃ、自分一人で泣くものだ。おれだって、そういうことは、しばしば、あったよ。「よく、シナリオ・ライターになるといったなあ。君は、才能なんでものは、まったくないよ」ふと、監督にいわれて、怒りが噴きあげ、ついで、口惜しきが涙になったこともあるけれども、おれは、滅多に他人に涙を見せる気持はなかったものだっひどもっと非道いことをいわれたこともあるよ。

疲れている証拠であり、お嬢さんを子供扱いしている不特な男の心理であるというふうに考えてみたらどうなんだろうねえ。一また、男の安定・・・:・というのは、その男がさ、もう先が見え見えになったということであり、安定していると外見は見えるけれども、これもまた疲れ果てているわけだということだよ 安定というのは、それ以下にはならないかもしれないけれども、それ以上に上昇することもないかもしれないわけなんだなあ。そこのところをよく考えてほしいんだよねえ。男から、攻撃力が失われて、防禦一本になると、案外、男はやさしくなったり、そして安定しているように見えたり、落着いて見えたりするものなんだよ。おれは、男のやさしさに嘘を見るもんだ。いつだったか、ロサンゼルスのホテルのエレベーターに乗ったんだ。おれの前に中年のカップルが二組いたんだ。片方が、「アフター-ュ 」「サンキュというと、もう片方が、」と乗ったわけだ。女性が乗って、男性が乗って、エレベーターの箱の中で、男性が奥に入り、女性が前に立った。そこへ、おれが乗り込んだわけだよ。すると一人の男が大欠伸をして、首をポキンと鳴らし、その横の男と顔見合わせて、なんとも弱り果てたウインクをしてみせた。二人の女性は、知らないで、超然としていたがね。おれはこの時、二人の男の無言の会話を聞いたような気がしたねえ。「お互い、女にやさしくするのは、なんとも痕れますなあ」「いや、いや、ごもっともで:::」という表情だったよ。この点を、お嬢さん、よ 1く考えて、恋をしろよな。男の涙を信じないでほしい男の一波は女の一涙と同じじゃないお嬢さん、おれは最近、お嬢さんたちが、大変な間違いをしていることに気付いたんだよ。たとえば、男の涙についての解釈が、まったく男の心理を読みとっていないということなんだなあ。「彼は、あたしの胸に、顔を輝一めて泣いたから、あたしを愛しているのよ」という女性がいるんだが、これは、本当に男性の心理を理解していないんだなあ。むしろ、逆に理解しているんじゃないかと思うんだよ。大体、男がさ、女の胸に、顔を埋めて泣くというのは、間違いなんだよ。そんなことをする男は、詐欺師か意志薄弱な男と見てさしっかえがないと思う下ι。お嬢さん、男は、滅多なことで一課をうかべないと思っているんだろうなあ。男が涙をうかべる時は、余程、切羽詰った状態だと思うわけだろう。なぜ、こんなふうに女性が男の涙を見て思うかというと、女性は、いつも安易に涙を喜怒京楽の折に見せてしまいます。

彼女が感激した食事の後片付けとか掃除とか、洗濯などという家事一般のことと、中年の男性の寛容度とか安定性を一緒にして、中年は素晴らしいといっているのが、いやになったんだなあ。そういう中年と一緒になったなら、自分は自由に生きていかれると思っているところにさ、大きなミスがあると思うんだよなあ。あまりにも安易じゃないかねえ。若い男性には、この二つの異次元のものが備わっていないのは、当り前のことだよ。若い男がさ、変にやさしけりゃ、これは不気味だよ。若い男が安定した生活していりゃ、これまたおかしいもんだよ。若さの中の安定というのは、魅力はあまりないわけだよ。傷つき、怒り、吠えて、ド γ底にたたき落されて、這い上がってくるというのが若者なんだよ。若者の安定は、えてして、エリートコ スを歩んでいる高慢きであったり、親の財産をバックにした愚か者だったり、あるいは、すでに疲れ切っていたり、消極的でおとなしいところからくるわけなんだなあ。中年とは、一寸ばかし「安定」の条件が違うわけなんだよねえ。うち男のやさしさは攻撃力のなさおれは、彼女の話を聞いている裡にさ、とても興ざめという気持になったなあ。束縛された結婚生活はいやというわけだよなあ。そりゃ、本来、を使った自由というものは束縛されないものだけれども、彼女のいっているのは、自由ではなくて、ワガママキママ以外のなにものでもないんだト品。こういう意識の女性にかぎって、二号さんになって、金もち爺さんのお恵みで生きていったりするんじゃないかなあと思ったものだよ。自分の中から、開発されていくものは、なにもかも失ってしまっての一生を、自由と錯覚しているだけなんだなあ。泥まみれで掴んだ栄光は金なんかで買えない素晴らしきがあるのを、一生知らないで過ごしていく人ではないかと思うんだよ、おれは::: 1彼女は、一体、男に、どんな像を見ているのかねえ。自分に都合のいいことばかりを夢見ているようだなあ。こういう考えに一旦とりつかれたら、おれは女としては不幸だと思うんだよ。自分が自由に働けて、好きなことが出来るために選んだ男性は、ほんとうの男性かねえ。おれは、なにも、男に仕えるなんて古いことをいっているわけじゃないんだけれども、あまりにも自分サイドばかりで男を求めていると、ろくでもない男を掴んでしまうんじゃないかねえ。こういうふうに考えたら、どうかねえ、お嬢さん。男のやさしさも、一皮はげば嘘の上塗りです。

彼女が感激した食事の後片付けとか掃除とか、洗濯などという家事一般のことと、中年の男性の寛容度とか安定性を一緒にして、中年は素晴らしいといっているのが、いやになったんだなあ。そういう中年と一緒になったなら、自分は自由に生きていかれると思っているところにさ、大きなミスがあると思うんだよなあ。あまりにも安易じゃないかねえ。若い男性には、この二つの異次元のものが備わっていないのは、当り前のことだよ。若い男がさ、変にやさしけりゃ、これは不気味だよ。若い男が安定した生活していりゃ、これまたおかしいもんだよ。若さの中の安定というのは、魅力はあまりないわけだよ。傷つき、怒り、吠えて、ド γ底にたたき落されて、這い上がってくるというのが若者なんだよ。若者の安定は、えてして、エリートコ スを歩んでいる高慢きであったり、親の財産をバックにした愚か者だったり、あるいは、すでに疲れ切っていたり、消極的でおとなしいところからくるわけなんだなあ。中年とは、一寸ばかし「安定」の条件が違うわけなんだよねえ。うち男のやさしさは攻撃力のなさおれは、彼女の話を聞いている裡にさ、とても興ざめという気持になったなあ。束縛された結婚生活はいやというわけだよなあ。そりゃ、本来、を使った自由というものは束縛されないものだけれども、彼女のいっているのは、自由ではなくて、ワガママキママ以外のなにものでもないんだト品。こういう意識の女性にかぎって、二号さんになって、金もち爺さんのお恵みで生きていったりするんじゃないかなあと思ったものだよ。自分の中から、開発されていくものは、なにもかも失ってしまっての一生を、自由と錯覚しているだけなんだなあ。泥まみれで掴んだ栄光は金なんかで買えない素晴らしきがあるのを、一生知らないで過ごしていく人ではないかと思うんだよ、おれは::: 1彼女は、一体、男に、どんな像を見ているのかねえ。自分に都合のいいことばかりを夢見ているようだなあ。こういう考えに一旦とりつかれたら、おれは女としては不幸だと思うんだよ。自分が自由に働けて、好きなことが出来るために選んだ男性は、ほんとうの男性かねえ。おれは、なにも、男に仕えるなんて古いことをいっているわけじゃないんだけれども、あまりにも自分サイドばかりで男を求めていると、ろくでもない男を掴んでしまうんじゃないかねえ。こういうふうに考えたら、どうかねえ、お嬢さん。男のやさしさも、一皮はげば嘘の上塗りです。

疲れている証拠であり、お嬢さんを子供扱いしている不特な男の心理であるというふうに考えてみたらどうなんだろうねえ。一また、男の安定・・・:・というのは、その男がさ、もう先が見え見えになったということであり、安定していると外見は見えるけれども、これもまた疲れ果てているわけだということだよ 安定というのは、それ以下にはならないかもしれないけれども、それ以上に上昇することもないかもしれないわけなんだなあ。そこのところをよく考えてほしいんだよねえ。男から、攻撃力が失われて、防禦一本になると、案外、男はやさしくなったり、そして安定しているように見えたり、落着いて見えたりするものなんだよ。おれは、男のやさしさに嘘を見るもんだ。いつだったか、ロサンゼルスのホテルのエレベーターに乗ったんだ。おれの前に中年のカップルが二組いたんだ。片方が、「アフター-ュ 」「サンキュというと、もう片方が、」と乗ったわけだ。女性が乗って、男性が乗って、エレベーターの箱の中で、男性が奥に入り、女性が前に立った。そこへ、おれが乗り込んだわけだよ。すると一人の男が大欠伸をして、首をポキンと鳴らし、その横の男と顔見合わせて、なんとも弱り果てたウインクをしてみせた。二人の女性は、知らないで、超然としていたがね。おれはこの時、二人の男の無言の会話を聞いたような気がしたねえ。「お互い、女にやさしくするのは、なんとも痕れますなあ」「いや、いや、ごもっともで:::」という表情だったよ。この点を、お嬢さん、よ 1く考えて、恋をしろよな。男の涙を信じないでほしい男の一波は女の一涙と同じじゃないお嬢さん、おれは最近、お嬢さんたちが、大変な間違いをしていることに気付いたんだよ。たとえば、男の涙についての解釈が、まったく男の心理を読みとっていないということなんだなあ。「彼は、あたしの胸に、顔を輝一めて泣いたから、あたしを愛しているのよ」という女性がいるんだが、これは、本当に男性の心理を理解していないんだなあ。むしろ、逆に理解しているんじゃないかと思うんだよ。大体、男がさ、女の胸に、顔を埋めて泣くというのは、間違いなんだよ。そんなことをする男は、詐欺師か意志薄弱な男と見てさしっかえがないと思う下ι。お嬢さん、男は、滅多なことで一課をうかべないと思っているんだろうなあ。男が涙をうかべる時は、余程、切羽詰った状態だと思うわけだろう。なぜ、こんなふうに女性が男の涙を見て思うかというと、女性は、いつも安易に涙を喜怒京楽の折に見せてしまいます。

男は見せない動物だと信じ切っているからなんだろうなあ。男性でも、すぐに涙を獄えて、涙を流す奴がいるんだなあ。実に都合よく、女の心理を揺らすために、涙を自にする男がいるものなんだよ。そういう男に、女性は騎されてしまうわけなんだ。「男の涙は、余程のことがないかぎり流さないものだ」&--と、思い込んでいる節があるんじゃないかなあ。父親の涙を見たこともないから、こういう考えが浮かんでくるのだと思う。だから、男の涙を見ると、「この人は、あたしだけに、涙を見せたんだわ」と思い、「だから、あたしがいなくては、この人の未来はどうしょうもないわ」と、母性愛が働くものらしい。涙が信頼の度合だと、お嬢さんたちは、単純に解釈しているような気がするんだけど、本当はそうではないんだよ。男の涙を、女の涙と同質に考えてはいけないんだからね。今までに結婚詐欺師とか、金銭を踊しとる詐欺師とかを眺めていると、この涙の演技が実にうまいのだなあ。男の涙にほろりとした女性は、大半だまされているような気がするんだよ。お嬢さん、男の涙に、ほろりとしてはいけないよ。女の前で、ほろほろと泣く男は、男じゃないんだからな。むしろ、女性に近い男だと思うよ。あるいは、大変に計算高い男だと思うよ。男というのは、もともと女性の前では、涙を湛えたり、浮かべたり、流したりするものじゃないんだからね。そんなことをするのは、男の恥なんだよ。女の前で涙を流すほど男にとって恥はないんだからね。「上役がおれにこんなことをいったんだよ:::」といって、涙ぐむ男は、おそらく被害妄想の、実力のない男なんだろうなあ。お嬢さんは、これを男の苦悩の涙と解釈してしまって、結果としては輔されてしまうケ 1スがあるものだよ。この点、男の涙に踊されてはいけないよ。同情とか憐れみが、かえっていのも取りになってしまう気がするんだよ。た。男は男らしく生きるべき:::男性の本質は、どんなに辛いことがあっても、女性には涙を見せないでおこうと思うものなんだよ。そりゃ、自分一人で泣くものだ。おれだって、そういうことは、しばしば、あったよ。「よく、シナリオ・ライターになるといったなあ。君は、才能なんでものは、まったくないよ」ふと、監督にいわれて、怒りが噴きあげ、ついで、口惜しきが涙になったこともあるけれども、おれは、滅多に他人に涙を見せる気持はなかったものだっひどもっと非道いことをいわれたこともあるよ。

現在でも、とてもいやなことがあるんだなあ。「深夜のテレビショ の司会をやっていらっしゃるけれども、良心は痛みませんか。早く、くだらないテレピをやめて、文学一本に励んで下さい。私は、それを心から望んでいますから:::」という人は、世の中に、沢山いるもんだよ。おれは活字を愛しているから、また、テレビも愛しているわけであり、現代に生きている限りは、これを踏んまえていきたいと思っているわけである。こういう気持ちでいるのに、突然に新大阪駅なんかで、見知らぬ人にいわれると、怒りが渦を巻き、狂うように追ってくるのである。人間、なにをどう解釈したっていいと思うんだよ。ただ、涙で甘えて、解釈してはいけないと思うんだよ。男は、男らしく、生きていき、女性には一粒の涙も見せたくないんだなあ。おれの親父が死んだ時、おれは死の床に付合い、そして、その後まで親父に付合ったけれど、母親とか女房に対しては、涙は一時摘も見せまいとしたんだ。「死なれたよ。一生懸命に生きようとして死んでしまったよ」といい、「おれたちの心の中に生きている親父を大切にしようや」といっただけだ。外部から見るおれの態度は、大変に冷たいようだつたけれども、おれにいえる言葉というのは、それしかないと思うんだよ。本当は、大声をあげて、泣きたかったんだけど、そんな涙を他の人に(母でも女房でも)見せたくなかったんだよ。男の涙というのは、他人に(家人といえども)見せてはいけないと思っているんだ。そこに、男の男たる気持ちが横たわっているような気がしてならないんだ。お嬢さん、男の心理が、少しはわかってくれたような気がする。男が涙する時は、誰も見ていない男一人の環境でなんだと思うなあ。自の前に女性がいて、涙を流すことは、男の甘えであると思う。本当の男なら、絶対にそんなことをしないと思うんだなあ。もしも、お嬢さんの目の前に、涙を見せる男が近付いたなら、相手にならない方がいいと思うんだよ。そんな男に、お嬢さんの運命を渡したくないなあ。同情は女の不幸の約束なんだよお嬢さん、君はね、その他にも解釈を間違っていると思うんだなあ。たとえば、男が、経済的な援助をお嬢さんの実家に求めようとして泣きついたりすることがあったり、君を博かすような借金の額をいったりする男が世の中に二パーセントぐらいいるかもしれないけれども、そういうのに、うっかり乗ったりしては駄目だよ。